今日はミスをする時のお話です。
こんにちは。
トロンボーン奏者でアレクサンダーテクニーク教師のかたさんです。
【ミスする時】
人間ですから、だれでも失敗はします。
大きいものもあれば、かすり傷とも呼ばない程度のものまで色々ですが、本人がミスと思えばミスなのです。
私かたさんも、今まで数えられないくらいのミスをしています。
もちろんここで言うミスは、本番でのミスのことです。
私は、あがり症という程ひどい緊張はしませんが、ある程度の緊張はします。
というよりある程度の緊張をしていないと上手くいかないと言うのが経験上得たものです。
そう、この緊張がない時、私はミスをしています。
【緊張しないとなぜミスをする?!】
緊張で上手くいかないと悩んでいる方が多い中、私の言っていることをどう感じるのでしょう。
決して私は緊張しないわけではありません。
でも、「緊張していないと上手くいかない」と言うことは、逆に緊張しないで本番している時もあったのかと思いますよね。
結果的ですが、そういう経験はあります。
しかもそんなに少なくないです。
そして、その少なくない経験の時、かなりの確率で大小様々なミスをしています。
緊張していてミスをする時もあるので、しない時と結果的な数は変わらないのかもしれませんが、何と言うのでしょうか、ダメージが違います。
緊張によるミスは、ある意味緊張のせいにできるのですが、緊張を感じていないのにミスをすると「なんで?」ってなります。
これはアレクサンダーテクニークを学んだから理解できたことではなく、それよりはるか昔からそうでしたし、それを認識していました。
そして、緊張できていない理由もよくわかっていました。
それは「余計なことを考えている」時です。
【緊張=集中のシステム】
どうやら私の集中システムは緊張と深く結びついているであろう、と言うことを割と早い段階で理解していました。
学生の頃からです。
当時に私は「緊張しきれないとあがっちゃう」なんてことを口にしていたので、聞いたことある人もいると思います。
だから、ひどい上がり症とかにならなかったのでしょうね。
ある意味、自分の緊張のコントロールが出来ていたことになりますから。
この「緊張しきれないとあがっちゃう」、キーワードです。
緊張できていない時、それは余計なことを考えてしまっている時と先ほど書きました。
良い時も多いのですが、心に余裕がある時は余所事を考える余裕もあるのです。
その余裕は、実は建設的な余裕ではなく、単に集中力不足の時もあるのです。
この集中力欠如によるミスは、自分に深い後悔と自責の念を残します。
「もっと演奏に集中していれば」と、成功する可能性を自ら奪ってしまった後悔と自責です。
簡単にいうと「もったいない」と思うものです。
あがり症のような深刻な悩みではないだけに、逆に苛立たしい。
これは健康的ではありませんね。
その後悔をしないため、後年そういう面でアレクサンダーテクニークは役に立ちました。
【集中を考える】
何に対して集中するか、ここから始まります。
大きくは演奏になりますが、それは演奏とは何かを考える事に繋がります。
演奏には、自分自身の事が一番気になり探求することになるのは当然です。
では他に演奏において大切なこと、考えたり意識する必要があるもの、自分に欠けていた要素は何かなどを考えると、いくつか思い当ります。
演奏には、演奏者、楽曲、観客や聴衆、ホールなどの空間が必要です。
集中するとは、これら全てを意識下に置く事ができることだと今の私は認識しています。
一般的に、演奏において聴衆と空間は意識から外れやすいです。
中には意識的に外そうとする人もいます。
理由の多くに、人前だと緊張するからというのが多いです。
これは演奏における必要条件を満たさないことを選択することになり、余計なことを考えてしまう余裕を自らに与えてしまうことにもなります。
その結果、私の場合は意識が散漫になりミスを発し、あがり症の人にはあがりを促進してしまいます。
そして、これらはどちらも演奏に対する集中を欠いてしまう事に繋がります。
先に書いた私の「緊張しきれないとあがっちゃう」は、「集中しきれないから変なミスを犯す危険性を感じてしまいあがりに繋がる」ことだと今は推測します。
まだ確信までには至ってないので推測ですが、恐らくそうだと思います。
この仮説に従えば、あがり症も同じく演奏に対しての集中力欠如が心の平安を損ない、あがりを生んでしまうと言えます。
やはり大切なことは、演奏に対し自身が真摯に向き合い、言いたい事や伝えたい事、伝えたい相手を明確にしておくことでしょう。
それが演奏に対する集中を生み、結果的に余計な考えをすることを抑制しあがりをなくしてくれるのです。