第175回 未だにある部活動パワハラ問題

トロンボーン奏者でアレクサンダーテクニーク教師のかたさんこと片山直樹です。

アメブロ時代からですが、私は自分の感じた怒りや不満、あるいは「これってどうなの?」的な投稿はほとんどしていません。
理由は簡単。
そういう感情をこういった公の場で表に出すのが好きじゃないから。

これは、自分の育った環境に起因しているのを私は知っています。
自分の親父が、仕事から帰ってくるといつも仕事の文句を母親に怒りながらグチっていたからです。
私はそれがとても嫌で、親父が帰ってきてそれが始まると弟と二人で他の部屋に行きテレビを見ていました。

なので、私は人が感情的に怒っているのを見るのが好きではないですし、自身も感情的な怒りを、少なくとも家族の前で出すことはしないようにしています。

ですが今日は怒りをあえてお伝えします。
それほどのことを聞いてしまったから。

暴力教師

私が教えている生徒から聞いた話です。
どこで教えている生徒など特定される可能性のある情報は外しますが、とある高校生の話です。
ちなみに私は様々なところで色々な楽器の生徒に教えていますので、詮索してもわからないと思います。

その生徒によると、自身が中学時代の部活動顧問が生徒によって扱いの差が激しく、気に入らない生徒に対しては阻害的に接していたそうです。
顧問の権力というのか、演奏メンバーから外すなどの脅しや「練習来るな」「吹くな」みたいなこともしょっちゅうだったそうです。
しかも、それが日によって変わる気分によって起こるので、生徒たちはご機嫌伺いに気を使っていたと言っていました。

これだけでも十分なほどの人としての器の小ささであり、まして子供たちを社会へと導く教師としてあり得ない言動です。

さらに、何かその顧問の気に触る事(聞いた話だと些細なことばかりでしたが)があった時、譜面台が飛んできたこともあったそうです。

もうここまで行くと、下手をすると命に関わる事にもなりかねない暴力です。
あり得ない。
ケガをした生徒がいたかはどうかはその生徒からの話では分かりませんでしたが、もしこれが本当であるならば、大問題にしてもいい程の、もはや事件です。

その生徒は、その顧問に気に入られていたらしいのでそういった被害はなかったようですが、実際にそれが辛くて辞めていった仲間もいたとの事です。
そもそも気に入る気に入らないで生徒を区別すること自体おかしい。

問題は、これが私の子供の頃の話ではなく現代であると言うことです。

現在でもあるパワハラ教師問題

この生徒が中学時代の話なので、つい2、3年ほど前の話でしょう。
この頃はまだ平成時代とはいえ、私が中学時代の昭和の頃からすると20数年も過ぎた頃です。
それでも、まだこのような教師がいるのです。

私にはこういった行動自体が理解できないのですが、権力というのはこういう行動をするとどうなるかという感覚がマヒしてしまうのでしょうか。
教師の暴力やパワハラ、セクハラはもちろん、ちょっとした失言や不可抗力によるミスでさえ問題になってしまう現代において、なぜこういったあからさまに問題とされるであろうことができてしまうのでしょうか。

先日も神戸で教師間のいじめが問題になりましたね。
その教師の言い訳は「悪気はなった」「かわいがってきたつもり」などと話しています。
つまり、こういった行為をしている間は、本当に「悪気ない」のでしょうね。
純粋にいじめやパワハラをしているのでしょう。

無意識の恐ろしさ

もし本当に悪気ないのであれば、これは恐ろしい事です。
無意識にしているわけですから。
先ほどの吹奏楽部顧問も、自身の立場や権力を勘違いし、自身が世間的にどういう行為をしていて、それをすることで起きる問題に対しての認識はあっても意識の上にあがってこない状態なのでしょう。

今日アレクサンダーテクニークと呼ばれるものの創始者であるFMアレクサンダーは、その書の中の一つに「社会の進化に人間精神の進化が追い付いていない」と言うような事を書いています。

周りを見れば、枚挙に遑がないほどの事例があるでしょう。
身近なものとして、スマホによる視力低下、パソコン作業による運動不足や姿勢の乱れ、肩こりや腰痛、ストレスによるうつ病、発達障害が増えているのもこういう影響あるという識者もいます。

だからこそ人間本来が持っている完璧なる身体の使い方が重要だと、アレクサンダーは自身の発見からそれを言っています。
社会の進化に、放っておけばそのまま流されて間違った身体や思考の使い方になってしまいがちな現代人こそ、意識的に物事をすべきだと。

話しが逸れましたが、先ほどのように無意識に、あるいは悪気無く生徒や同僚を傷つけてしまう教師がいるのは事実。

もちろん、普通の先生がほとんどであるのは言うまでもありません。
しかし、このような教師がいるために、日々一生懸命に子供たちを導いている先生たちの評価が下がってしまいます。
嘆かわしい事です。

教育の原点とは何であるか、学校の先生に関わらず大人全員が考える必要がありそうです。
今日は、かたさんにしては珍しい内容の文でした。

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