第192回 自己否定が見つかりわかったこと

トロンボーン奏者でアレクサンダーテクニーク教師のかたさんです。

前回、私の中に自己否定があることに気が付いたという事を書きました。
それがこちら。
https://katasan-tb.com/blog-no-191/

3月14、15日とBodyChanceでレッスンを受けに行き、14日のトミーとのオンラインレッスン、15日の久しぶりのジェレミークラスでそれに気が付いたのですが、翌日16日は、一日何となく落ち込み気味でため息ばかりでした。

「多かれ少なかれ、人には必ずある」
それはそうだと思いますが、ないと思っていた部分で見つかったことは、正直ショックでした。

【何に気が付いたか】

自己否定が見つかったところは、前回ブログにも書きましたが、未だに問題となっている発音の事。
タンギングの問題なのですが、単音での発音の時に問題があり連続で音が繋がってで吹くような場合にはほぼ大丈夫です。

単発の時に浮かぶ「発音ができない『感じ』」、これが問題なのですが、それが不安ではあったけど自己否定とは思っていませんでした。
これがなぜ自己否定かと気が付いたかと言うと、「音が出ない」「発音が怖い」と思ったり感じたりする事が問題なのではなく、発音する瞬間に来る「発音ができない『感じ』」に反応し身体が固まる事が嫌だったのです。

発音に対する不安ではなく、それに伴う反応に対して避けたがっていたことに気が付きました。

そう。
実際に音が出る出ないではなく、出なくなる時に起こる身体の固まりに対して不安を感じていたのです。

なんとまあ、これは起きてもいなことに対して勝手に不安を感じていたことになります。
ちょっと前に書いた「不安の先取り」を地で行っていたのです。
ちなみにそのブログはこちら。
https://katasan-tb.com/blog-no-190/

ならばどうするか。
それが課題です。

【反応に対して意識的に】

私が意識していたのは、発音という行動に対しての様々なプランとThinkingでした。
それを、身体が固まると予想してしまっている反応に対して向けてみる事にしました。

私の大好きなキャシーマデン先生は「気づきは求めるものではなく結果的なもの」と言っていましたが、トミーとジェレミーのレッスンを受けるこの時まで私にはその気づきが訪れませんでした。
しかし、今はそれがわかったので、そこにアレクサンダーテクニークを使ってみます。

【反応を見る事から始める-観察】

自分に対して起こる自己否定的反応、この場合、発音をする時に体や思考で感覚的に現れる「嫌な感じ」がどこで現れるか、それを見る事から始めました。
これには「この時」という決まったものはなく、タイミングが様々だったことがわかりました。
つまり、何かの動きが原因で起こる、というものではないことがわかりました。

では、なぜ色々なタイミングで起こるのか、今度はそれを検証してみました。

【反応が起こる原因を見る-分析】

まず、アレクサンダーテテクニークを使わなかったり無意識にやってしまう時は反応が起こるので、これは除外します。

次に、反応が起きた時のタイミングで何を考えていたか、何を感じたかを見てみました。
すると、先ほど書いた「様々なタイミング」が示す通り、色々な場面で反応が起き、その時はもれなく発音の不安を感じていました。

そして、その不安と共にいることを嫌がりながら、しかもその嫌な感じに気圧されながら音を出そうとしていたのです。

これではせっかくのプランも役に立ちません。
プラン通りに動く状態ではないわけですから。

それなら次にすることは、それに対しどうするかを考えてみました。

【不安を感じた時にする事を考え実行する-プランと実験】

発音の不安を感じた時、その反応として身体が固まります。
私はこの固まる事を避けようとしてた、これがすでに身体が固まる事の要素となっていて、タンギング出来ない結果を生んでいたのです。

結果ではなく要素の方を見る事にしてみると、それが発音に対する不安でした。
ならば、不安を感じた時にすることを明確にしようと言うのが私の考えたことでした。

身体が固まる事を嫌がっていたので(否定的思考)、別のすべきことに置き換える事を考えました(能動的思考)。

先ずは、トミーにもらったアドヴァイスをしてみました。
「身体が固まるかもしれないという不安や思いの定義を一旦保留し、その不安を感じている自分を認め、自分がそれと共にいることを許し音を出す」と言うことです。
トミーは「そこに(不安を感じていることに)自分が属していい」といっていました。

ジェレミーは、不安の為に身体が固まる事により失敗してしまうことも許してあげようと言いました。

恥ずかしい事ではあるのですが、まるでアレクサンダーテクニーク初心者が受けたレッスンのようでした。
ですが、すでに教師になりながらも初心者のようなことを今更教えられている自分、そしてそれを実践している自分、それらも認めてみました。

すると、その初心者のようなことをすることは恥ずかしいことではなく、むしろいつもそれをすべきであり、していなかったことが恥ずべきことだったと、それに対してとても恥ずかしくなりました。

原点に戻るとはよく言いますが、いつでも物事は原点から始まりそれに結果が付いてくるものです。

さて、そういうことに改めた気付いた後に身体の使い方をもう一度プランとして使ってみました。
身体の使い方なら今までさんざん意識してきて、それでも上手くいかなかった結果が今あるじゃないかと思われるかもしれませんが、今回は身体の使い方というツールを使用する際の目的が違います。

これまでは「タンギングをするために」使っていたのですが、今回は「身体が動くため」に使うのです。
したい事をするための使うと言うのでしょうか。

身体が固まりそうな「嫌な感じ」が出たら、音を出すのをやめる事も許しました。
その都度、頭が動いて身体自分全部をついてこさせてその場にいる自分を認め、自分であることを自覚し、再び演奏プランに入る、これをし続けました。

【目的を思い出す】

これは、恐ろしく根気が要ります。
時間なんてすぐに経ってしまいます。
ずっとやっていたら、嫌になるでしょう。
そこで大事なのは、何のためにしているかを思い出すこと。
望みですね。

これ忘れると、はっきり言ってドツボです。
プロセスの中でグルグル回るだけで、迷ってるのと同じです。
目的や望みあってのプロセスですからね、ここは常に明確にしておく必要があるでしょう。

・・・・・・・・・

雑感のようなブログで、内容はこれまで自分でも書いてきたことなので「何をいまさら」って思われる人も多いでしょう。
それくらい当たり前のことなのですが、私の人生は昔からこういうものでした。
何か挫折を感じたり発展途上を感じなくなった時、常に原点回帰をしなければならなかったのです。
それくらい、基本を忘れやすいんでしょうね。

ひょっとしたら、これと向き合い続けることが私の人生であり学びなのかもしれません。

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4月以降の決まっているワークショップ情報は下記に有ります。
このご時世ですが、いずれも小規模ワークショップなので可能な限りしていきたいと思います。

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