第205回 人を動かすのは正論ではなく思いやり

トロンボーン奏者でアレクサンダーテクニーク教師のかたさんこと片山直樹です。

【ネットの時代】

ネット社会に生きる私たちは、様々な人が書いた情報やその人の意見を目にするでしょう。
twitterしかり、Facebookしかり。

こうして私がブログなんてものを書き始めて、早いもので4年近く経っています。
Facebookにそれをリンクして広く知ってもらい自分をアピールする、簡単にいえば自己主張です。

Facebookやtwitterの書き込みは、情報発信と共に自己主張の場でもあります。
その意見に対して反対の思いや考えの人もいるでしょう。

こうして私が書いているブログも、いわば私の考えの集合体であり、その時に持っている情報、あるいは感じた思いなどを自分なりの言葉で意見として書いています。

こうして色々な事を書いていると、それなりに私のことを知ってもらえるようになり、お陰様でこのブログなどを通じてレッスン依頼が来たりします。

とても有難いことですし、とても嬉しいです。

反面、私の行動に対して良い思いを持たない人、離れていく人もいます。

これも仕方ないことです。
人はそれぞれですから。

【批判的書き込みの必要性】

そんなSNSの世界に居ながら目にしていて気になる事、やはりそれは批判的な書き込みでしょう。

批判的な書き込みそのものを否定するつもりはありません。
世の中の動向について批判の気持ちがあるのは当然で、それが社会では必要なこともたくさんありますからね。

特に政治的な事に関しては、それが無ければ社会の発展はありません。

今のコロナに対する政府の動きや考え方、納得いかない事多いでしょう。
それに対し批判的心から改善が生まれたりするものです。
だから批判的なこと自体は必要なのです。

もちろん、ただの批判や指摘、ダメ出しだけでは改善には至りませんが。

【論破】

ただ、その批判の中でどうしても気になるのが、その記事そのものではなく、それに対しそれぞれが感じて書き込んだコメント同士での争いです。
各々が各々の正論で全て押し切ろうとする書き込み。
いわゆる荒れるコメ欄というやつですね。

その正論自体の定義も色々あるので一概にどれが正しいとも言えない、そういう事もありますが、ここで話したいのはそういうことではありません。

ここで私が気になる事は、それぞれが持つそれぞれの正論ですべて押し切ろうとするその根源が、相手を打ち負かすこと、すなわち論破が目的であるということです。

中には、ハナから論ずるつもりもなく相手に自分の意見を押し通すこと、あるいは打ち負かすことのみを目的にしている人もいるでしょう。

人は論破では動きません。
つまり正論だけでは動かないと言うことです。
委縮するか、その場から離れます。
むしろ心を閉ざしていしまう人もいるのではないでしょうか。

論破目的の人は、そんな相手をバカにするでしょう。
反論できないやつと、と。

しかし自分が論破で勝った気がするのはその瞬間だけで、その後相手は決して心を開かず、自分は必要な情報は相手から得られぬまま終わる事もあります。
結局自分が負ける事になるのです。

まあ、論破が目的ならそれでいいのでしょうが。

【人を動かすのは思いやり】

正論を翳すことが必ずしも相手を納得させるに十分とは限りません。

正論は、論理性が最も必要とされる事項においては有効なことです。
例えば科学的、生物学的、医学的なものに関しては絶対的に必要です。
むしろその場合にはゆるぎない証拠や証明できる要素や結果が必要で、それは正しければ正しいほど論理性が増し、有用性もますのです。

しかし、コミュニケーションいおいては必ずしもそうでしょうか。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは自身の著書『弁論術』の中で、「人を動かすには『論理、熱意、人柄』の3つの要素が必要である」と指摘しています。

物事を説明したり、相手を納得させるに足りる論理は必要でしょう。
しかしアリストテレスは同時に「論理だけでは人は納得しない」とも指摘しています。

人の心を動かすのに論理性は大切ですが、実際はそれだけではほとんど動かないと言ってもいいでしょう。

そこで大切なのが、語り手の熱意と人柄なのです。

熱意に関しては説明の必要もないでしょう。
これが無ければ相手に伝わりませんし、そもそも伝えるエネルギーの根源です。
この熱意が相手の心、感情を動かし、時に感動させるのです。

人は、理性の生き物でもありますが、同時に感情の生き物でもあります。
人とのコミュニケーションにおいて、この感情を無視することはできません。

ですが、自身の感情に対して論理的な物言いは最悪と言えます。

一見論理的に聞こえるのですが、それは自分の感情に対して建てられた論理なので、独善的で一方的な論理です。

先に書いたコメント欄での言い争いなんか正にそれで、主文の主旨なんかどうでもよくなってしまっており、とにかくムカつきとかそういう感情に論理性を持って書きまくっているので、傍から見てるとため息が出る様な醜い論争。

論理性があるのはあるがそれが感情から起因しているとなると、結局その感情の軸から外れず、いわゆる感情論になってしまいます。

もう単なるケンカです。

ケンカにならずに相手に論理性と熱意を伝えるのに重要なこと、それはその人が信頼に足りる人かどうかです。

論理はもちろん、その人の熱意の伝え方、そして最終的にはその人の有り方や人格、品位にかかってくるのです。

それが人柄とよばれるものでしょう。

コミュニケーションにおいて、人が人として接していると言うことが大前提と言うことですね。

なんでこんなことを長々と書いているかというと、生徒や子供を教育する上で大切なことは、正論の正しさを伝える事は重要であるが、人に何かを伝え人に動いてほしい場合、正論の論理性とそれの正当性を伝えるだけの相手への思いやりが必要だという事です。

その思いやりとは何か。

人は、大抵の場合、自分の自尊心を満たすために行動します。
行動することで、何らかの満足を得たいわけです。

と言うことは、相手を動かしたいと思った場合、その相手の自尊心を満たすことができて初めて、人はこちらが望むように動いてくれるわけです。

ここに必要なのは正論ではありません。
人を動かすのは正論に勝る思いやり。

特に教える立場にある人や親は、生徒や子供に対し何か大切なことを伝えるのに、その子の自尊心を育てる物言いを持ってそれを正論とすることが必要だと思うのです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

♪♪ オンラインレッスン始めました! ♪♪
オンラインレッスンお申し込みはこちら

無料メルマガ「かたログ!」ご登録はこちら
無料メルマガご登録

通常レッスン・お問合せはこちら
通常レッスン・お問合せ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です