第266回 練習の定義は?

トロンボーン奏者でアレクサンダーテクニーク教師のかたさんです。

楽器の練習を一つ例にとってみると、練習と言うカテゴリーの中には、どういった定義があるのか、考えたことがありますでしょうか。
平たく言えば、何のために楽器の練習をしているのか、でもいいです。

こう聞かれると「上手になるため」「曲が演奏できるようになるため」など答えが出てくと思います。
そして上手になるために、どういう「練習」をすればよいか、「練習」でなにをするかを考える必要があります。

これだけ見れば当然であり、私が偉そうに言うことで何でもありません。

しかし、練習の定義がこういうものであったとして、この定義に当てはまらない不必要なことが知らぬ間に定義内に組み込まれていれば、この定義は崩壊し練習の目的は不毛なものになってしまいます。

コロナになってからのレッスンで、何名かの生徒さん(それなりの数います)に共通して見られたことがあります。

以前ここでも書きましたが、「合奏などが減り個人練習の時間が増えたのに、前より調子が悪くなった」という生徒さんです。

「やっぱり人と一緒に吹くことは大切ですよね」と言う、仲間との音楽の楽しみ方とか人との触れ合いにおけることで養われる演奏力の向上と言う意味では確かなのですが、ここではもっと論理的にわかる結果がありました。

人と合わせる機会が少なくなることで、徐々に自分の判断で(都合で)色々な演奏定義を変えて練習しているうちに、単純に音を出すのに必要な、最もシンプルな奏法に影響が出ているという結果です。

そういった生徒さんの多くに、シンプルに音を出すのに必要な奏法から外れた仕方で出された音の結果の不具合から「調子が悪くなった」と判断し、外れた奏法で何度も何度も「練習」し、どんどん調子を崩してくパターンが起きています。

そして意識は、その音よりも自身の感覚としてしっくりこない状態がクローズアップされ、それを良いかんじになることのために楽器を吹き続けているようです。
そして、どうしようもなくなって私のところに来る、このパターン最近多いです。

こういった状況に陥った時、先ず私は「何のために練習しているか」を訪ねたことがあります。

私のところには、調子の不具合を治すために来たのですが、普段の練習で目的を聞いたところ、「調子悪いんで調子を取り戻すため」みたいな答えが多かったです。

かつての私のようでした。
手に取るようにわかります。

そして奏法が崩れているにもかかわらず、奏法そのものよりも音を出す怖さや外れす恐怖は感じているものの、その部分では積極的な改善プランを持っていないことも多くの特徴です。

調子の悪さや音を出すことに対する恐怖による思考の波にのまれています。
私はこれを「ドツボ」と呼んでいますが、まさにドツボにハマっています。

こういた方には、ご自身の練習の定義を一度考えてもらうことがあります。

この練習の定義の中に、本当は定義に入っていないことが入っているのではないかを、ヒントを与えながら探してもらうこともしています。

結構多くの方に、練習の定義に「悩む」「反省する」「(自分を)責める」「比べる」などが入っているのです。

ここに上がっているもの、皆さんなら練習に必要なものとして並べますでしょうか。
おそらくないでしょう。

生徒さんたちの中にも、これらは本来はなく意識的に取り入れたわけではないのに、知らない間に練習の定義として定着、しかもその多くを支配してしまっていることに気が付かないまま、それが「練習」になっているのです。

私のアレクサンダーテクニークの先生であるトミートンプソン先生は「定義を保留する」ことを教えてくれましたが、まさにこれでしょうね。

一度、自分の練習定義が何か考えてみることで、今起きている不都合な習慣の抑制になるかもしれません。

自身の練習の定義とは何かを、時には客観的に観察し何があるかを整理して、不必要なものは断捨離し、本来の練習をすることができれば心も体も健全なまま音楽を楽しむことができるのではないでしょうか。

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