第291回 社会と多様性 ~ヘアドネーションは自己満足か~

トロンボーン奏者でアレクサンダーテクニーク教師のかたさんです。

今日は雑感です。
そして、一面的な意見とも言えますので、気分を害される方もいるかもしれません。

先日、私の知り合いFさんがとあるブログを上げていました。
Fさんは床屋さんで、私の娘と同じ病気の娘さんをお持ちで、その関係で繋がりました。
同じ病気だけに治療も似ており、抗がん剤使用や骨髄移植を経て、今は元気に暮らしています。

抗がん剤を使用すると、副作用のため髪の毛が抜けるのです。
そういうことを経験しているので、私の娘は元気になってから髪を伸ばし、ヘアドネーションをしました。
こちらの娘さんも、同じ思いで現在髪を伸ばしているそうです。

さて、そのブログの内容は、髪の毛がない人の中にはヘアドネーション活動によりストレス感じている人がいるというものでした。

ヘアドネーションとは、脱毛症や、娘のように病気や治療などで髪の毛が抜けた子供のために、人毛でのウィッグ(かつら)製作用に髪の毛を提供する活動です。

髪がない人のための活動が、なぜその当事者にとってストレスなのでしょうか。

これについての動画も上がっており、それによると「ヘアドネーションという罪。『いいこと』がもたらす社会の歪みについて」ということが語られています。

かつてヘアドネーション活動を行っていた方自身が、無意識に「髪の毛があることが良いことだ」というのを押し付けているのではないか、と自分の活動に対して疑問を抱いたとおっしゃっておられました。

ウィッグの提供を通じて「髪の毛があるのが当たり前」となってしまい、それを押し付けているのではないか、と。

別の方は、髪の毛があることが普通で、ないことは普通ではないという社会構図が出来上がっており、髪の毛のない人にとって見れば、それは生きづらい世の中であるとも話しています。

これは、なかなか考えさせられる問題でした。

確かに、髪があることは人間(人類)は前提という概念は皆さんあるでしょう。

こう書くと差別的にとらえられるかもしれませんが、そういうことではありません。
髪がある人にわざわざ「髪がある」とは思わないでしょうが、髪がない人には「髪がない」と認識するのであれば、それは「髪の毛があることが普通」という概念があることの現れです。

ところが、そうではない人もいます。

若い女性でも、脱毛症で髪が全くない人もいます。
それで悩んでいる人のためにヘアドネーションがあると思っていたのですが、髪があることが良いという前提の社会そのものに疑問を持っている人もおり、そういう方にとってはヘアドネーション活動は、そういった社会構図の後押し=善意の押し付けをしていると感じられるのでしょう。

そしてなにより、ウィッグを提供しても、脱毛そのものは何の問題解決にもならないということもあるのです。

なかなか深い問題であると思いました。

冒頭に書きましたが、Fさんは床屋さんです。
床屋さんは、髪を切るだけでなくその人にあった髪型に整えたり髪を染めたりして、いわゆる「おしゃれ」にするのが仕事です。

そして自身の娘さんの病気の経験から、自分の職業を生かしヘアドネーション活動をしていらっしゃるのですが、ご自身がいいことだと信じていたことが、社会構図の歪み問題の解決になっていないと言われたら、どう思われるでしょうか。

そうなってくると、そういう活動は自己満足であるとも取れます。

「いいことだからやっている」ということ自体、型にはまった概念であると。

多様性という面で見れば、現代の社会は髪の毛がないことが普通であっても良いという多様性に欠けているとも言えるでしょう。

実際、髪の毛がないことは笑いの対象になります。

手足や目がない方を笑う人はいませんが、いわゆる「ハゲ」というツッコミやからかいがあるように、髪の毛がないことは先の例と比べて重要視されません。

それゆえに悩むことも多い問題です。
確かに、そういう意味ではそれを認める多様性が今の社会には欠けていると言えます。

そういったことも含め、髪がないことで悩んでいる人への解決の一つがヘアドネーションなのですが、確かにこれは髪の毛があることが普通という社会構図の歪みを解決することはできません。

ただ脱毛を隠しているに過ぎず、問題を先送りにしているだけ。

他者とのコミュニケションにおいて問題を残したままにすることで、本人の生き方に生きづらさを与えることにもなってしまう可能性もあるのです。

私の娘は、小学1年生の約1年間を病院で過ごしました。
そこにいる子供たちのかなり子に髪の毛はほとんど無く、あってもまばらに生えている程度です。

しかしそこは、髪の毛がないことが普通の社会でした。
子どもたちの間では、そういうコミュニティーが出来ているのです。

そこには幼年期から小学校低学年の子が多く、幼い時期からそのようなコミュニティーの存在を身をもって学んでいました。

髪がないことの生きづらさは、ここには無いようでした。
そういう意味で、その問題では一般の社会の方が生きづらさは大きいようです。

でも、その社会で生きてきた娘は、自分の意志でヘアドネーションをしました。
その背景は、髪の毛がないことで辛い思いをしている同じ病気の仲間に対して思いがあると思います。

この子たちは、髪がないことを体験したまさに当事者です。
「当事者を理解している他者」ではありません。
その渦中にいた子たちです。

社会として、ヘアドネーションは髪の毛がないことの生きにくい状態の解決にはならないかもしれませんが、それ体験してきた子供たちの気持ちは無下には出来ません。

そして、当事者である娘さんがその思いを持っているのを知っているFさんのヘアドネーション活動は、簡単に自己満足と言えるものでもないと思います。

それに、社会が歪んでいるとしても、世のことのすべてその社会構図の中で成り立っているものばかりです。

床屋さんがあるのは、なくても生きていける髪の毛なのにおしゃれをするためにあるのですから、すでにこの社会構図の中で成立しています。

その社会で苦しんでいる人を助けるのに、社会構図を変えるのが根本ではあるのかもしれないが、一方でそういう社会だからこその手助けをする必要もあると私は考えます。

さらに、ヘアドネーションで救われている人もたくさんいるのも事実です。
これも多様性とみるべきでしょう。

脱毛を隠さなければならない社会も問題だが、それを隠すことで救われ安心する人もいる、それも社会。

今回は色々と考えさせられました。

幼き頃の子どもの心情に向き合い、そこから新たな視点を発見することが出来ましたし、大いに勉強になりました。

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